静岡県立総合病院 田中 一成 院長
貴院の今日までの歩みをお聞かせください
静岡の県立病院は、徳川慶喜が1869年に静岡市内に藩立病院を設立したことに始まります。廃藩置県のため廃院になった藩立病院の後、県立病院が新たに建てられましたが財政難のため1882年に郡に払い下げられ、1948年になり現在の県立総合病院の前身である県立中央病院が開設されました。現在は、総合病院、こころの医療センター、こども病院の3病院で地方独立行政法人「静岡県立病院機構」を結成し、合理的で自由度の高い経営を行えるようにしています。
2017年に完成した延床面積2万平米の先端医学棟は、1階に放射線治療施設、2階に研修センター、3、4階に22の手術室(3つのハイブリッド手術室を含む)、5階に研究施設であるリサーチサポートセンターを備えています。県立総合病院の臨床は高い評価を得ていましたが、今後の医療の発展を見据えて開設した遺伝診療科と協力し、がんゲノム医療連携病院に認定されています。また、慶応義塾大学大学院と協定を結び、総合病院で勤務しながら慶応義塾大学の医学博士号を取得できるようになりました。静岡県は中国浙江省と友好協定を結んでいますので、県立総合病院も浙江省の大学、病院と研究協定を結び共同研究を進める準備を整えています。
今後の展望などをお聞かせ下さい
2021年4月に「静岡社会健康医学大学院大学」が、正式にスタートしました。この大学院大学は総合病院のリサーチサポートセンターの機能を拡充し、教授候補の諸先生を招聘して大学院大学の開設に備えていたものが、文科省に正式に認可されたものです。2022年には、大学院大学の建物も完成しますが、それまではリサーチサポートセンターも大学の一部として利用しています。
静岡地区の地域医療では、清水区の桜ヶ丘病院の存続が危ぶまれていましたが、総合病院と桜ヶ丘病院の間で、地域医療連携推進法人「ふじのくに社会健康医療連合」を結成することにより、安定的な経営が継続できるようになりつつあります。
静岡県は人口当たりの勤務医師数が全国45位のため、県独自の医学研修奨学金制度を作り、卒後静岡県でキャリア形成してもらう制度を作っています。県外大学出身医師の配置調整は総合病院が担当してきましたが、奨学金を受給した医師が増えると、仕事量は膨大になります。そのため、大学院大学も地域医療連携推進法人に参画し、本格的に医師の配置調整を行い、県内病院の働き方改革に対応する事ができるシステムを構築しました。
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